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平成19年(2007年)3月も最後の日曜を迎えた、外は桜が満開に近いくらい咲いている、
akiosanの退院日である。病院に10時ごろ行くと、荷物は整頓されている、
荷物を車に運んでいる間、akiosanは少年と談笑している、今日は少年の母と兄も来ている様だ。
私は会計を済ませ、akiosanに準備が出来た旨を伝えた、

「ボウズ、たまに来るからな、じゃあな」  「アー」

最後の挨拶を終えた所で、私はakiosanに隠していたお菓子の詰め合わせを手渡した。
akiosanはニッコリ頷いて、少年の傍らにそれを置いた、少年の母が何度も礼を述べている、

「いやっ、この子のおかげで楽しかった・・・ハハッ、それではお大事に」

akiosanはニッコリ笑い少年の頭を撫でて病室を後にした、
玄関をくぐると、春の日差しと、桜の鮮やかなピンクが眩しい、

「親父、今年は咲くのが早いね、もう満開近いよ」
「ああ、おかあと散歩して眺めたいなあ・・・」 「そうだな・・・」

母、ユウコが欠けている私達にとっては、この爽快な花見日和の情趣が逆に重く感じられた、
二人とも会話少なく、車に乗り込む、正門出口を抜けようとすると・・・

「あ、親父、あれ・・・」

少年が兄に車椅子押してもらいながら、玄関に見送りに来ている。

「ボウズ、頑張るんだぞっ、ボウズッ!!」

全開にした助手席の窓からakiosanは大声で叫んだ。

「アーーーー!」

少年も大声でakiosanに応える、二人はお互い見えなくなるまで手を振り続けた。

家に戻ると、Uさんの所に電話を掛ける、今日は碁が打てるそうで、迎えに来ると言っている

「なお、お前も行くか?」  「いや、俺はいいよ」
「明日、仕事終わったら電話するからね、今度来るときは、パソコン持ってくるから」
「ああ、楽しみにしてるよ、またな、なお」

そして次の日、日勤が終わり電話を掛けるが、何回掛けても出ない・・・
(親父は耳悪いからな、聞こえないのかな)結局その日は諦めた。
次の日は夜勤である、昼間何回掛けても出ない、夜会社から掛けても繋がらない、
夜勤が明け、急いでakiosanの家に行くと誰もいない、部屋が散らかってるとかの痕跡もない、
夜になるまで待ってたが帰って来ない、母に相談の電話を入れる、

「お母さん、どっか親父が行きそうな所ってある、昨日からいなくなっちゃって・・・」
「泊まりだと判らないわねえ、遠くなら静岡か九州だろうけどねえ・・・」
「お母さん、九州のHさんって知ってる?・・・・・」
私は病院の経緯を細かく説明した、

「知ってるわよ、そう、亡くなったんだ・・・お父さん多分九州に行ったわ」
「ええっ、でも20年以上行ってないし、まだ退院したばっかでいきなり行くかな?
 俺に何も言ってかないし、困ったなあ・・・」
「お父さんも子供じゃないから、大丈夫よ、九州ならしばらく行ってるんじゃないの?
 明日にでも電話掛けてみたら?」  「そうだな・・そうするよ」
「ところでユウちゃんとはうまくやってるの?お父さんの方ばっかりで大丈夫なの?」
「ユウコは実家に出ていったよ・・・」   「ええっ!どういう事なの?!」

私は母にこれまでのユウコとの経緯を話した、

「なおさん、これからどうするの?」
「どうもこうも何も連絡も来ないし、こっちからするつもりもないよ、仕方がないよ、
 お母さん、こっちに戻ってくる気はまだ・・・」
「ええ、まだその気にはなれないわ、御免なさいね、また何か判ったら連絡頂戴ね」

母との電話が終わり、帰ってきそうもないので私も久喜に戻った。

次の日の日勤が終わり、一応akiosanの所に電話しようと携帯を取り出して見ると着信があった、
akiosanからだ!しかしまだ二日しか経ってない、20年以上ぶりに九州に戻ったというのに・・・

「もしもし、親父何処行ってたの?心配するじゃない」
「スマン、スマン、九州に行ってたんだ」(やはり・・・)
「それにしちゃ、随分帰るのが早いじゃない、久しぶりなんだからゆっくりしてくれば
 良かったのに」
「向こうで具合悪くなってなあ・・・ハツミ(akiosanの一番下の妹)に送ってきてもらったんだ」
「ええっ!!それで、おばさんは?」 「すぐ帰ったよ・・・」

具合が悪くなったと言うので、急いでakiosanの元に行くと、布団で横になっている。
九州で何があったのか伺う・・・

akiosanは退院した翌日、九州の人にも連絡なしに向かった、
中国へ囲碁使節団に選ばれた時に購入した、
今では年代物の傷んだスーツケースに一杯の荷物を入れ・・・
しかし、akiosanは小倉駅のエスカレーターで倒れてしまう、
とりあえず駅長室で女兄弟に電話を入れた。
しばらくして、姉と一番下の妹がやって来た、姉は開口一番

「何しに来たっ!!帰れっ!!!」
駅員は呆気に取られている、akiosanも具合が悪い上にこの一言でうな垂れてしまった。

「あんちゃん、とりあえず家に来な」 妹のハツミが声を掛けてくれた。

ハツミ叔母のご主人は四十過ぎで肝硬変で亡くなっている、
しかし、ご主人の一家は元々旅館経営で地元では名士であった、一人になっても
美容院を経営したり、所有する土地をテナントで幾つも貸したりと裕福である。
そこで一泊し、具合は悪かったがハツミ叔母を伴いHさんの元へ向かい仏前に線香をあげた。
体調が悪い上に泣き崩れ、寝込んでしまった。

「あんちゃん、具合が悪いのなら、ちゃんと掛かり付けの医者に見せないかんと、
 私らが送るから帰りんさい」

ハツミ叔母と娘に支えられる様に、茨城に戻ってきたakiosan、
叔母達はトンボ帰りで福岡に戻った。

私は叔母達が家に戻るであろう時間を見計らって電話を掛けた

「叔母さん、どうもご迷惑掛けてすいませんでした、送ってまで頂いて本当に・・・」
言葉が後を続かなかった

「お父さんがなおちゃんが良くしてくれるって言っとったよ、ありがとうね
 あんなお父さんだから大変だろうけど、どうか宜しくお願いします、
 こんな事なおちゃんの前で言いにくいのだけど、お父さんはここでは駄目な人だったんよ、
 私らは今T家の者でない、だから今回で最後にして欲しいんよ、
 お父さんには、ちゃんと言っといたから判ると思う、
 これからも本当に宜しくお父さんの事頼みますね、後テルコ姉さんにも色々あっただろうけど、
 頑張って下さい、幸せになってと伝えてください、それじゃあね、なおちゃん・・・」

akiosanの具合が悪いので翌日有給を貰い、病院に連れて行った、
念のためCTを受けたが大丈夫であった、とりあえず一安心である。
病院から帰るとakiosanは私に紙袋を差し出した、

「なお、これを現像してもらいたいんだ、それでハツミに送ってくれんか?
ハツミがおじきの所に持っていってくれるそうだから、
 慌てて行ったから忘れちゃったんだよ」
「あ・・これ・・写真があったんだ、いいよ、判った」

この時私は初めてakiosanの静岡時代の写真を目にした、

「凄いなあ、親父、俺もこの写真貰うね」
「ああ、いいよ」

akiosanは嬉しそうに返事をした。

続く・・・

その4

その5

対局中の様子 左:akiosan    右:林海峰(当時)名人

その6

右より  "つっさん" "なが" "akiosan"








その4
対局中の様子
左 akiosan 右 林海峰(当時)名人

その5

その6

右より"つっさん" "なが" "akiosan"



2008.11.20 Comment:8 | TrackBack:0
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